「直指」は、ドイツのクテンベルクの 「42行聖書(The 42-line Bible, 1452-1455)」より78年も先に、刊行された現存する世界最古の金属活字本である。
「直指」の本来の名称は、「白雲和尚抄録佛祖直指心體要節」である。

 この本は、大韓民国の忠清北道清州市興徳区雲泉洞866番地興徳寺で、1377年刊行されたが、著者は、14世紀高麗末の代表的な禅僧である白雲和尚であり、「白雲」は号で、法名は(景閑、1298−1374)である。白雲は忠烈王24(1298)年に全羅道古阜(現 井邑)で、生まれ、忠定王3(1351、54歳)年5月に中国湖州の石屋清公禅師から佛法を頂いた。当時、白雲は石屋清公禅師から「佛祖直指心體要節」1巻を頂いた。その後、帰国して海州の安国寺と新光寺などで、主持を担い、清州興徳寺などで、後進養成に身を尽くしたが、恭愍王21(1372、75歳)年に成佛山で、「直指」2巻を抄録して、恭愍王23(1374、77歳)年、驪州翠巌寺で、入寂なさった。
 白雲和尚が、「直指」を編纂するようになった動機は、師匠の石屋禅師を継承し、仏道を広く広げて後学らを啓導するためだと考えられる。木版本の「直指」に現れた成士達の序文によると、“和尚様が中国から帰国した後、ひたすら仏道ばかり執着したが、それだけが、能ではないと悟り、石屋禅師を継承して、佛祖の緊要な教えをご自分で2巻に増補して、後世に伝えようとし、それは、父親が基礎を固めて、其の子が殿堂を建てるのに比喩されるのである。”と言及した事実を通じて分かるのである。
 「直指」の体制は、上下2巻に構成されているが、興徳寺で刊行された「直指」金属活字本は、上下巻の中、上巻は、見つからないし、一番目の章がなくなった下巻38章の一冊だけがフランス国立図書館の東洋文献室に保管されている。翠巌寺で刊行された「直指」の木版本は、上下巻が完全な一冊で国立中央図書館と韓国精神文化研究院の蔵書閣及び佛甲寺に保管されている。金属活字本だけでは知ることが出来ないその体制や内容の全貌は、木版本を通じて完全に知ることが出来る。「直指」は、白雲が師匠の石屋禅師が伝えた直指心體要節に禅門拈頌と緇門警訓などからその内容を補完し、過去7佛とインドの28祖師、中国の110禅師など、145家の法語を選び取って307篇に至る偈、頌、讚、歌、銘、書、法語、問答などが収録されている。

 「直指」の内容において、その中心主題である“直指心體”は、「直指人心見性成佛」という禅宗の仏道を悟る名句から取ったもので、“参禅を通じて人の心を正しく見る時、その心の本性が即ちお釈迦様の心であるのを悟る”と言う意味である。
 現在、金属活字本「直指」は、フランス国立図書館の東洋文献室に下巻だけが唯一本として所蔵されているが、「直指」がフランスへ渡るようになった背景は複雑である。  1886年5月韓国とフランスは韓仏修好通商條約を結び、翌年1887年両国の間で條約の批准書が交換されるによって、正式に国交が結ばれた。パリ大学で法学を専攻して、東洋語学校で、中国語を学んだコレン ド プランシ(Collin de Plancy, 1853~1922)は、1877年から6年間北京駐在フランス公使館の通訳官として勤務したが、1888年初代駐韓代理公使としてソウルに来て1891年まで暮らした。其の時、彼は、韓国の焼き物と古書を収集し、書記官としてソウルに赴任してきたモリス クラン(Maurice Courant, 1865~1935)に 自分が収集した古書を分類整理させた。その後、5年間日本に勤務したプランシは、再び1896年から1906年まで10年間、総領事とソウル駐在公使を兼職しながら韓国に滞留し、続けて古書を収集したが、その中には金属活字本の「直指」が含まれていたのである。
 プランシが、「直指」を収集した経路は明らかになっていないが、様々な情況から見れば、1900年代初に収集したと見られる。1911年3月に、プランシが、韓国で収集して行った大体の古書は、競売を通じてフランス国立図書館に入るようになったが、金属活字本「直指」は、当時、有名な宝石商でありながら、古典収集家であったアンリ ベベル(Henri Vever, 1854~1943)が、180フランで購入し、所蔵していたが、1950年ごろ、彼の遺言に従って、フランス国立図書館に寄贈され、今日に至るのである。
 金属活字本「直指」がこの世で知られ始めたのは、1901年クランが著述した「韓国書誌」保有版の付録に記録されてからである。ところが、その実物と内容は、確認できなかったが、1972年〈世界図書の年(International Book Year)〉を記念のための国際展示会に出品されて始めて、現存する世界最古の金属活字本として確認されたのであり、巻末にある“宣光七年丁巳七月日 清州牧外興徳寺鋳字印施”という刊記を通じて、高麗の?王3(1377)年7月清州牧の外郭にあった興徳寺で金属活字で印刷出版されたのが確認された。

 金属活字印刷術の重要性について世界碩学らは、人類文化史上最古の発明品で、情報化の嚆矢であり、人類文化発達の画期的な転機になったと認定している。人類情報化の1次革命は、言語を使用し、人々の間で考えを取り交わすのであり、2次革命は、文字を創案して整理、体系化させたのである。金属活字印刷術を発明して、知識と情報を大量に普及させ、文化を急速度に発展させたのを我々は3次情報革命だと評価してきた。金属活字印刷術の発明によって、人類歴史は、発展に発展を繰り返して、コンピューターを活用したインタネットの使用を可能にさせて、現在、我々は情報革命の4次段階に入り込んでいる。これは、全て、金属活字印刷術のお陰だと言える。

 金属活字印刷術は、1992年アメリカのタイム誌、1995年アメリカのワシントン誌、1997年アメリカのライフ誌などで、人類歴史上最高の発明品として選定され、最近、インタネット調査でも、最高の発明品として認定されている。これらの雑誌では、1500年代に宗教書籍、ギリシャ語とローマの古典、科学書籍、コロンブスの新大陸発見報告書など、50万部以上印刷された書籍の普及は、金属活字印刷術が世界に与えた影響だと推測した。又、ヨーロッパの文芸復興を加速化させたのも金属活字印刷術によって、可能になり、金属活字印刷術がなかったら、宗教改革運動や市民革命及び産業革命も成されなかったと記録している。
 最近、韓国では、又異なる金属活字本「直指」がどこかに存在していると見なし、清州市と古印刷博物館、市民団体、学界などが中心になって「直指」探し運動を行っている。